2012年11月6日火曜日

2012年秋ネパール調査報告


2012年秋ネパール調査報告

 ポカラを起点としたマルシャンディ川沿いの調査地域概略図(グーグル・マップとGPS軌跡ルート)

ネパール中央部のマナスル周辺地域の氷河・湖環境変動に関する調査を、20121024日~115日まで行った。調査内容は、マルシャンディ川支流のダナ・コーラ上流のツラギ氷河・湖では氷河・氷河湖変動と水草、マルシャンディ川支流のドゥドゥ・コーラ上流ビムタン地域では2006年洪水とポンカール湖の環境変動調査、および今回の調査旅行を通じて体験した環境課題のトピックスとしては、森林資源や道路開発の実態、トイレ問題、またその他としては雪男、野鳥料理、デジカメの功罪、馬の旅や友人の分骨場などについても概要を報告する。

      マルシャンディ川上流域の調査地域(グーグル・アース画像とGPS軌跡ルート)

A. 調査結果

(1)ツラギ(ダナ)氷河・湖



                  1975年以降のツラギ氷河・湖の変動図


ツラギ氷河は末端部のカービングによって2009年までは急速に後退(したがって、氷河湖は拡大)していたが、ツラギ氷河の屈曲部付近で、2010年以降は末端部分が氷河湖底に座礁した状態になり、氷河の主な消耗は表面低下で、末端変動は停止した状態になっている。

1.氷河湖変動と氷河湖決壊洪水(GLOF

水位低下現象

 2009118日の軌跡ルートを2005115日のグーグル画像に重ねた図

ツラギ氷河湖の水位低下現象に気がついたのは湖岸沿いに歩いたGPSの軌跡ルートをグーグル画像に重ねて見ると、2005115日の画像上では、2009118日の軌跡ルートがほぼ湖岸(汀線)に並行に、岸から20~30mの湖中を通っているので、2005年の水位は2009年よりも高かったと考え、氷河関係者の集まりで話したところ、誤差の問題があるので、水位変化とは結びつかないのではないか、という指摘を受けたことがある。ところが、新しく公開された2011年12月30日のグーグル画像に2009年の軌跡ルートを載せてみると、軌跡ルートは歩いたとおり、湖岸(汀線)沿いに通っているので、ツラギ氷河湖の水位は2005年から2009年にかけて低下していたことが確認できた。


2009118日の軌跡ルートを2011年12月30グーグル画像に重ねた図

それでは実際にどの程度水位低下しているかというと、水位低下してからの時間があまり経っていないので、高水位時代の汀線を示す植生のない湖岸部が湖面から2.5m上に連続的に分布していることから、最近の水位低下量は2.5mと見積もることができる。水位低下の原因としては、氷河湖の流出口部分がそれ以前の水位上昇時の水量によって侵食され、流出口の位置が低下したため、湖面水位が低下したものと解釈している。

ツラギ氷河湖末端部の水位低下(左上写真はかつての水位計が干し上がっているのを示す)

このような水位低下現象は、ネパール水文気象局(通称DHM)が1996年に調査した時の氷河湖末端周辺の写真と2009年のものと比較しても明らかで、氷河湖末端部のグレーシャーミルクのP1部分が、水位低下によって、2009年には透明度の高い池P2に変化しているのである。なお、次に述べる水草の繁茂はこのP2の池で起こっている現象である。

               1996年のDHM隊と2009年の末端地域の変化

自律的対応機構

これまでのネパール・ヒマラヤの氷河湖決壊洪水(GLOF)の調査から、決壊した氷河湖はいずれも小規模なもので、氷河湖をせき止めている堆積物(モレーン)中の化石氷が溶けたりすれば、古くなったロックフィル・ダムのように構造が弱くなり、そこに雪崩・岩石崩壊による津波の影響が加われば、小規模な氷河のモレーン構造の脆弱性によって、末端モレーンの決壊の要因になり、GLOFを引き起こしたと考えられる。一方、モレーン強度の高い大規模氷河湖の場合は、直下型の大規模地震でもない限り、モレーンは安定しているとともに、温暖化の進行による融雪・融氷水流入の増加がすすむなかで、結果として引き起こされる氷河湖の水位上昇に対して、(あたかも自律的に)氷河湖の流出口が水量増加で侵食され、湖面水位を低下させる現象がツラギ氷河湖で起こっていると解釈できたので、大規模氷河湖にはGLOFリスクへの(自律的な)対応機構があるのではないかと考えている。もし、この解釈が妥当ならば、ツラギ氷河湖自体が、GLOF災害の発生リスクを高める水位上昇への事前防止機能を発揮しているものといえるであろう。したがって、GLOF対策とはいえ、すでに行われてきている大規模土木工事は、各々の氷河湖の特性に対応したGLOFリスクへの(自律的な)対応機構を調査したうえで、再考すべきだと考える。

                  ツラギ氷河湖の流出口(2012.10.29)

GLOFの可能性

 ツラギ氷河湖のGLOFリスクへの(自律的な)対応機構が働いていると解釈できることに加えて、末端部分のモレーンは層厚が100m以上と堅固な堆積物なので、末端部分を破壊する直下型の大地震でもないかぎり、GLOFは発生しないであろう。このことは、クンブ地域のイムジャ氷河湖とも共通性があるので、住民に対して、いたずらにGLOFの恐怖心を煽ることは慎まねばならない、と考える。というのは、2009年春に調査したイムジャ氷河湖近くのディンボチェ村の住民代表が私たちのところに来て、「去年は氷河湖調査隊が7隊きた。調査隊は危険だとは言うが、何が、どのように危険なのかは言ってくれない。危険という言葉が独り歩きしているので、学校も発電所も病院も作ることができないで困っている。もう、調査隊はたくさんだ。」とこぼしたのを心に留めておきたい。

         P29(ハルカ・バハドール・グルン)峰とツラギ氷河・湖(2012.10.28)

                          ツラギ氷河湖末端の流出河川(2012.10.29)

2.水草

           ツラギ氷河湖末端の透明な池に繁茂する水草(2012.10.29)

水位低下現象の項でも触れたが、ツラギ氷河湖末端(4048m)には、水位低下によって分離した透明な池(20m10m*深さ約2m)があり、今回初めて水草が繁茂しているのが観測できた。水生生物といえば、アオミドロ的な藻類は観測できていたが、長さが1m程もある水草が繁茂するようになったことは、温暖化などの環境変動が氷河湖地域にも現れてきた可能性がある。下記のポンカー湖ではガン・カモ科の渡り鳥が飛来するとうので、ツラギ氷河湖も将来はヒマラヤを超える渡り鳥の中継地になる可能性を秘めている。水草の資料は採集したので、水草の権威、滋賀県立大学の浜端悦治さんに検定していただこうと思っている。

          ツラギ氷河湖末端の水草(ストックのスケールは10cm;2012.10.29)

  浜端さんからメイルがきて、「たぶんリュウノヒゲモPotamogeton pectinatusとのことで、湖岸付近に群がって生えている様子はモンゴルと良く似ている」とのことです。帰国してから、標本を鑑定してもらうのが楽しみです。
           モンゴルのリュウノヒゲモPotamogeton pectinatus(浜端氏撮影)

(2) ドゥドゥ・コシ上流ビムタン地域

                                  ブルディン・コーラの岩石流跡(2012.11.02)

1.2006洪水

 ティリチェ村のマンガール・グルン(44)によると、モンスーンの雨期でビムタン地域では視界はなかったが、2006年7月13日午後3時頃、ものすごい音がし、大量の岩石が流れているのがガスの中で認められ、この洪水流は約12キロ下流のティリチェには午後9時頃に到達したというから、時速約2キロで流れ下ったと推定される。
 この洪水の発生地域はビムタン下流のブルディン・コーラで、主な発生源はラルキャ・ピークからの谷である。その谷筋にはまだ新しい花崗岩質の白い大量の岩石が流下方向に帯状に分布しているとともに、ブルディン・コーラのビムタン近くの支流でも花崗岩質の岩石が流下し、小屋を破壊している被害が認められた。
           ブルディン・コーラの岩石流で破壊された民家(2012.11.02)

 前回の報告した今年5月のセティ川洪水は発生地点の地質・地形条件を反映した泥質や粘土質の洪水流であったが、ビムタン地域の洪水の場合は岩石流が主体の洪水であった、と解釈できた。いずれにしても、降雨や融雪・融氷のよる多量の水があれば、急傾斜地の多いヒマラヤでは、それぞれの土地の地質・地形条件を反映した多様な洪水が今後とも発生すると思われる。
 ポカラのセティ川でも歴史的に何回も洪水流に見舞われているが、ブルディン・コーラでも、過去の洪水の岩石が時代がさかのぼるにつれて、赤い地衣から黒い地衣、そしてコケに覆われた帯状の岩石分布があり、多量に岩石が流下した地帯では河床の林が立ち枯れているを認めることができる。

2.ポンカー湖

 ビムタン北方のヒムルン・ヒマールからはデブリ・カバーの巨大な氷河群が南に向かって流れ下っている。ポンカー湖は地図上のペリ・ヒマールからの新旧のモレーン堆積物の間(アブレションバレー)に形成された氷河湖であり、長さ約1キロ、幅50100mで、流出河川は認められない。
 ポンカー湖が立地する新旧のモレーン堆積物の比高は100m以上もある堅固なもので、直下型の大地震でもないかぎり、氷河湖決壊洪水(GLOF)を引き起こすことはないであろう。 この氷河湖には、ガン・カモ科の渡り鳥が飛来するという。
 
            アブレーション・バレーに形成されたポンカー湖(2012.11.02)


トピックス


1.森林資源

         ドゥドゥ・コーラ上流の素晴らしいタンネの森とマナスル峰(2012.11.01)

 ナチェからアルバリへのダナ・コーラの登りでも、またティリチェからスルケを過ぎたドゥドゥ・コーラ周辺でも、標高2500m付近までの五葉松の林が、ふた抱えもあるようなモス・フォーレストのタンネの巨木の森に変わる。この森は、人工的圧力の少ないブータンの森を彷彿とさせる。人為的影響の大きいネパールでは、原生林は、ぼくの経験ではクンブ地域のヒンクやホングのなど人の影響の少ない上流部にわずかに残るだけと思っていたが、南北方向のマルシャンディの支谷に大規模に残っているのは大変に貴重なものと言えるのではないか。
ダラパニまでの南北方向の谷地形沿いにはモンスーン雨期の水蒸気が大量に侵入するので、素晴らしく立派な原生林を発達させているのだろう。したがって、氷河末端高度は森林限界のダケカンバ林まで下がっている。クンブなどよりも氷河末端硬度が1000m程も低い4000m付近となっているのもこのためだ。ビムタン北方のヒムルン氷河群の規模が著しく大きいことも、原生林の発達と同様に、氷河の涵養機構にマルシャンディ沿いに南方から供給される多量な水蒸気が大きな意味を持っていると解釈できる。今春調査したアンナプルナ連峰南面のマディ川上流のガプチェ氷河では、雪崩涵養の影響も加味され、氷河末端硬度は2500mと、ネパールで最も低い氷河・湖がGLOFを引き起こしているのである。しかしながら、マルシャンディ川が東西方向に流れを変える最上流部は、夏の南からの水蒸気侵入に対してアンナプルナ連峰の風下になるため、局地的な乾燥域になっている。このため、著しい森林の発達は見られない。マルシャンディ川のダナ・コーラやドゥドゥ・コーラの支谷の原生林はこの流域のみならずネパール、広くはヒマラヤにとっても(ブータン同様に)貴重な森林資源、財産だ、と思う。


           エーデルバイスの咲き誇る美しいツラギ氷河湖へいたる流域だが(2012.10.30)

たが、その貴重な森林資源が山火事にさらされている。原因は放牧地や農地の拡大であるが、ひとたび焼けると、林の中を風が通りやすくなり、さらに強度が弱くなった木が、ちょっとした風でも倒れてしまう。ツラギ氷河・湖へのアプローチにもそのような地域があり、前回の2011年調査では累々とした倒木を超えて行かなくてはならなかった。さらに追い討ちをかけているのが道路の乱開発である。重機やシャベルカーが沿線の林を無造作になぎ倒して道路開発が進められていた。エーデルバイスの咲き誇る美しいツラギ氷河湖へいたる流域でも、上の写真を注意深く見ると、右上のU字谷周辺のタンネの森が焼かれ、朽木が散在している。このような農地や放牧地の拡大のための人為的森林火災はブータンでも、広くはモンゴルやシベリア、赤道地帯のインドネシアやブラジルなどでも環境課題となっており、温暖化阻止のための緊急テーマになっている。

                                 ツラギ氷河・湖調査基地での焚き火(2012.10.27)

 今回のツラギ氷河・湖調査のダケカンバ林のBCでは、倒木を利用して、ヒマラヤ地域では贅沢となった焚火を楽しむことができたが、この程度はヒマラヤの神々も許してくれるかもしれぬ。何しろ、フライシートの天井だけのテント生活は寒くてやりきれないからでもあった、が。時おりしも、満月の時期で、月光に輝く白銀のヒマラヤを眺め、シャクナゲやカンバなどの足元の落葉を踏みしめながら、フクロウの声を聞く。心から満足のいく焚き火であった。

2.道路開発

南北方向のマルシャンディの峡谷は、道路開発のためには大岸壁を崩していかざるを得ないので、例のカリ・ガンダキよりも道路開発が困難だろうと思っていたところ、今回の調査直前に、南北方向のマルシャンディの峡谷がチャーメまで車(ジープ)が入ったというニュースを聞いて、大いに驚いた。GPSもうまく機能しない大峡谷なので、これまでの4回の調査行で、まさかそんなに早く道路が開通するとは思いもよらなかったからである。
右岸側の大岸壁を発破で打ち砕く際には、従来の左岸側の道は通行禁止となり、発破による右岸の岩壁破片が左岸の村にまで飛んで来て、閉村に追い込まれたところも出ているほどだった。発破による岩屑は垂れ流し放題で、河川環境を著しく損なっているとともに、このような工法では、前項の森林資源の視点に立てば、当然のようにむごたらしい森林破壊をともなうが、住民は一向に気にしている気配がないようだ。
開通で利益を得る道路沿いの村とマルシャンディ左岸側に取り残された村との乖離。車による輸送で、職を失うポーターやロバによる物資輸送に携わる人たち。このまま、さらに上流まで道路が延びれば、従来3週間近くかかったアンナプルナ一周が2日間で済んでしまうという。以前なら、ヒマラヤ山中入る時は小銭を多量に用意したものだが、今回は高額紙幣の1千ルピー札をだしても、文句を言う人はいない。恐ろしいほどの大きな変化だ。この調子では、クンブのナムチェバザールまでさえ、車で行けるようになるかもい知れない。われわれもジープを利用したので、ベシサハールからダラパニまで従来の3日間がわずか4時間、ポカラから3日かかったツラギ氷河・湖の調査出発地点の村ナチェまでも、わずか1日で到達してしまった。ツラギ氷河・湖への谷でも、ビンタンへのドゥドゥ・コーラの谷でも、道路標識が整備されつつあり、かつての木橋が鉄の橋に改良されている。入山者が増えているためであろう。
だが、現在は乾期で、道路浸食は目立たなかったが、夏のモンスーン雨期のマルシャンディ谷沿いの激しい雨に叩かれれば、いたるところで浸食がすすみ、手がつけられなくなるかもしれぬ。カリガンダき沿いの道路などでは、毎年のように土石流などによって、道路が寸断されているのだ。当然、自然からのしっぺ返しがあることを十二分にも心得ておかねばなるまい。

     マルシャンディ右岸岸壁を刳り貫いたジープ道と左岸に取り残されたタール村(2012.11.04)

3. トイレ問題

トイレ問題は人口圧が少ない時は、自然の回復力で解決できるが、一定の値を超えると、環境への負荷が大きくなってしまう。村人が夏の放牧場で暮らす限りはトイレ問題は発生しないが、トレッキング・グループが土壌浄化に期待している簡易トイレも量が増えてくると、環境への負荷が問題になってくる。最近特にマナスル一周トレッキング基地になっているビムタンは高度が富士山頂ほどで気温が低いため、土壌浄化機能も十分に働かない。そのため、クンブのナムチェバザールなどと同様に、トイレからの土壌浸透で地下水を汚染し、住民の飲用水源にまで影響を与えるようになる。
ビムタンでもナムチェバザール同様、大規模ホテルが建設されているが、その土地の自律的環境回復力に見合った規模の開発にとどめておかないと、自業自得的に、やがては自分たちの首を絞めることになりかねない。適正開発規模の要請とともに、人口圧の調整の観点から、入域人数の制限なども視野に入れた総合的な環境対策が必要な段階に来ている。

                             ビムタンのトレッカー用のトイレとその跡群(2012.11.03)

その他

1.雪男

 ツラギ氷河湖調査は2008年以来今回で5回目であるが、こんな話は聞いたことがなかった。今年6月にツラギ氷河湖に雪男が出たというのだ。毎回世話になっているナチェ村のガム・バハドゥール・グルンさんは、冬虫夏草入のロクシを飲みながら興奮気味に話してくれた。グルン語ではモゥーというそうだが、彼はイエティと表現していた。全身黒いが、白い尻尾がある。上半身は熊、下半身が人で、二足歩行するという。氷河湖に浸ったあと、モレーンを超えて行ったというが、実際に見たのは彼ではなく、ミン・ラムさんたちで、4・5日たってからも再度現れたそうだ。ちなみに、ミン・ラムさんたちが写真を撮ったかと聞くと、本気で信じているガムさんは、イエティはパワーがあるので、写真には映らないのだという。もし本当なら、すばらしい発見物語になることは間違いない。

2.野鳥料理

 ビムタン下流のブルディン・コーラでの岩石流調査を終え、ビムタンに戻るところで、ポーターのバラートさんがチルマと呼ばれている標高3700m周辺のダケカンバ林に生息する鶏ほどの大きさの赤と青黒い色の野鳥の群れを見つけた。彼が石を投げると、まさかとは思ったが、一羽に当たったようだった。さっそく彼は荷物を放り出して、バタついている野帳めがけて突進し、見事手で捕まえてしまった。ビムタンの小屋に戻る道中で出会った地元の人たちもバラートさんの見事な技を褒め称えていた。
 小屋に戻ると、馬子のサガールさんがすぐさま毛をむしり、ストーブで皮を丸焼きにしながら、刃物は使わずに、両手だけで脚を切り離し、次には胸を開いて、内蔵部分を血で手を染めながら、臓器ごとに分別していったサガールさんの手さばきにも、石で射止めたバラートさん同様、感心したものだった。サガールさんはチルマの分別が終わると、ストーブの上の針金に、手際よく干し並べ、今宵のロクシの酒の肴にしましょう、と言ってくれた。味は、地鶏のようなしっかりした歯ごたえのある、噛めば噛むほど旨みが出てくるような感じがした。

            バラートさんが見事手で捕まえた野鳥チマル(2012.11.02)

3.デジカメの功罪

 今回の13日間で撮った写真枚数は3414枚であった。1日平均、263枚。以前と比較すると、1日7本ものカラースライド写真を撮っていたことになる。かつては多くてもせいぜいカラースライド1日1・2本だったから、デジカメになると3倍以上の撮り方だ。美しいものはとりたくなるのはいたし方ないだろうが、何でもかんでも撮ったことで満足しがちになり、フィールド・ノートの記載量が少なくなっているのは気がかりなことではある。
 これまで撮りためたデータベース<http//picasaweb.google.com/fushimih5>には95千枚ほどの写真が掲載されているから、今回の調査で10万枚近くになるだろう。マチャプチャリ峰だけでも8594枚あるが、現在ポカラに滞在し、連日マチャプチャリの美しい姿を見ていると、多分9000枚程度には達してしまうであろう。そうすると今後も、写真1枚1枚のキーワード付が待っていることになるが、さらにデータベースを構築していただいている干場悟氏にはまたまたご苦労をおかけしなくてはならないのが気がかりでもある。
                雪の少ないマチャプチャリ近影(2012.11.07)

   このマチャプチャり峰の写真でも、雪が少なく、雪型が見えにくくなっているが、かすかに頂上の熊またはイエティがその右下の鹿を捕まえようとしているのが認められる。さらに右下部分の白い鳥の雪型ははっきりしなくなるほど、温暖化で、雪解けが進んでいる。
   カトマンズからポカラに行く時はバスを利用しているが、窓から見る景色をいつも楽しみにしている。GPSの軌跡ルートがあれば、ルートマップとして使える。川の色の変化や土地利用の特徴などをデジカメで写真を撮ると、写真をGPSのルートマップに載せることができるので、氷河の粘土を含んだいわゆるグレーシャー・ミルクの流れがどこで変化するのかなどが分かる。


   発電所からマルシャンディ川に戻されたグレーシャー・ミルクの河川水(右が下流方向) 

 以前は、揺れるバスなどの車の中でフィールドノートをとっていたが、最近はもっぱらGPSとデジカメに頼よるようになっている。

4.馬の旅

 今回の旅行後半はマルシャンディ川支流のドゥドゥ・コーラにあるティリチェを基点とする調査になった。そこは友人の古川宇一さんが1970年代に長期滞在して、文化人類学的調査を行った村である。ティリチェ村のコマール・ギャレさんは、ぼくが古川さんの友人であることを知っているので、ビムタン地域への3日間の調査旅行に白馬を提供してくれた。ヒマラヤでの白馬にまたがった調査とは、いやはや、贅沢なものであった。ただ、馬がどんどん進んでいってくれるので、シャッター・チャンスをのがし、写真枚数が少なくなったようだ。その点、デジカメの罪への対応をある程度はしてくたようだが、フィールド・ノートの記載量がさらに減ったことも間違いないようだ。

                   馬にまたがりビムタン調査(2012.11.01)

5.友人の分骨場


 ナチェ村からツラギ氷河・湖への途中に、マナスルとアンナプルナ両峰が見渡せる3000mのジャガイモ畑と放牧地が広がるゆるやかな高原があるので、4年前ケルンを積んで、友人の瀬戸純さんの分骨をしたのに引き続き、その翌年、先輩の宮地隆二さんの分骨も行い、調査の都度、良い香りのするビャクシンを炊き、香煙がヒマラヤの神々に届くように、今回もお参りをしてきた。ちょうど、ヤクの群れが分骨場に集まっており、逝かれた方々を守っているような気がした。


ナチェ村上流のアルバリにある友人たちの分骨場に集まるヤク群(2012.10.31)

今回は事前に、友人の石本恵生さんから「私の分もお祈りして」との申し出があったので、彼の名前とチベット語の経文を彫った石碑を祭ってきたところ、彼からは早速「私の墓碑まで作ってくださり大変有り難うございます、これであとは私が灰になったときに、誰かにそれを運んで貰えば永久にヒマラヤを眺めながら暮らせるのですね」とのメイルをいただいている。ぼくは単なる石碑のつもりだったが、彼自身は墓碑と思いこんでいるようだ。ところでぼく自身も、もう古希も過ぎているので、そろそろ墓碑なるものを考えてみなければならないのかな、とも思っている。
実は、今回の調査に当たっては、家に遺言を残してきたことを白状します。
「遺言  死亡通知は出さずに、葬式は内々で行うこと。墓も戒名も不必要、香典や花輪は断ること。後日、ヒマラヤに散骨し、何回忌などもしないこと。(20121015日 伏見碩二)

        マナスル峰の見えるナチェ村上流のアルバリにある友人たちの分骨場(2012.10.31)


最後に


実のところ、調査3日目までは腰痛があり、古希を1つ過ぎた体には心配のタネであったが、その後回復し、腹が細くなり、体重が減ると、なんぼでも歩けるような気がするほど快調になった。ヒマラヤの神々のお陰かもしれない。調査の最終段階では、かつてシェルパの友人たちが紙を使わずにトイレをするのをうらやましく思っていたものだが、自分のも、太いソーセージと言ったらよいか、犬のような密度の高いシェルパ的なものに変わると、肛門がきれいさっぱりで、紙を必要としなくなったのには自分ながら驚いた。このぶんでは、もう少し行けそうな気がしているので、来年は、懐かしのクンブのギャジョ氷河やホングの谷などにも足を伸ばしたいと思っている。


        ツラギ氷河湖岸でビャクシンを燃やして祈祷するバラートさんたち(2012.10.29)


ツラギ氷河湖調査の最後には、いろいろと気遣いをしてくれたバラートさんが湖岸でビャクシンの葉を燃やし、氷河湖の神様にお祈り・祈祷をしてくれたので、初めに述べたように、ツラギ氷河湖は暴れだすこともなく、静かな氷河湖の状態を保つことであろう、と祈念している。ヒマラヤの神々への一種の畏敬の念に関しては、2002年のブータンのルゲ氷河湖調査の際、以前の第1王女(現在の国王の母親)がルゲ氷河湖で金貨をまいて祈祷されたことを思い出した。

ブータンのルゲ氷河で祈祷したかつての第1王女と(データベース・アルバム: 2002_Bhutan_C08B05S53より)

最後になるが、旅も終りに近づいたティリチェで会ったニュージランドのCryo-Biologistのシャムさんが、「あなたのやっていることはHobbyですね」と言ってくれたから、「Yes, I am enjoying my hobby.」と答えておいた。今後は、あと数日間、ポカラ湖沼群保護の国際湿地会議に参加するとともに、ネパールを離れてからは、インドネシアのトバ湖とミャンマーのヤンゴン周辺の水郷地帯を見たうえで、改めて、2012年秋の旅の全体をまとめてみたい。それでは、皆さま、ナマステ!

                     (2012.11.07 マチャプチャリなどが素晴らしいポカラにて記す)
                                       

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